廃業寸前からの這い上がり-共栄化学工業(再起編)

アクリル加工業の共栄化学工業(大阪府八尾市山賀正町4-63)の取材メモを元にインタビューを構成しました。
今回は、その第2部として再起編をお送りします。
 
インタビューに応えていただいたのは
代表取締役・稲垣圭悟氏です。
 
第1部をご覧になられていない方は
まず廃業寸前からの這い上がり-共栄化学工業(過去編)
クリックしてご覧ください。
 
 

共栄化学工業はこうして蘇った!


-当時の心境はいかがでしたか?
会社が生き残った理由、今の形はたまたまです。
本当は良い所から1社、次の良い所から1社で
ルート営業したかったのですが
それができませんでした。
 
会社を安定させないと人はついてこないし
技術とかよりもついてきてくれる人の
仕事が必要だと思っていました。
 
-何が当社を復活させましたか?
仕事があればなんとかなると思い
いろいろやったのですが何しても
大失敗続きでした。
 
そこで思いついたのがネットです。
ネットをやろうと思いました。
 
ネットは利益が残るとそれを理解したとき
まぐれでわかったのだけれど
時代がネットを欲していると思いました。
 
これは絶対にやらないといけないと
思いました。
 
-ネット通販の構築に奮闘したとか?
当時はお金が無くて切り詰めた生活で
いつも財布には2000円しかなく
朝は早く帰りは遅いという生活でした。
よっぽどのことが無い限り飲みにも行かず
お金も借りたこと無かったのに
借金だらけの人生でした。
そのため、受講1000円する(ネット系の)セミナーに
行く事もできませんでした。
 
(独自に調べて)他の事は見向きもせずに
365日どうやったらお客さんが来るか
何を出したらいいのか
何人のお客さんが来て何人が注文したとか
検索キーワードとか
丸6年やっていました。
 
ネットのお客さんは上積みしないとダメです。
リピーターが増えて安定するまで
10年はかかりました。
 
20年前はネットで物を買う人が
少ない時代だったけれど
それがあっという間に買う時代となり
決済する人も年齢層が下がって
そこにピッタリと合致したというか
運が良かったんです。
 

もう一度メーカーだったころに戻したい


-無事復活してからはどんな感じですか?
自分自身が技術などが出来なかったり
わからなかったりします。
昔1年半ほど現場に入ってやってましたが
これはダメだと思い
自分の得意分野で何か出来ないか?と思い
次の成長は『もう一度メーカーを目指す』でした。
 
しかし、共栄化学工業がメーカーとして
出した物は見事に売れませんでした。
ブランディングを考えても集客しても売れない…
 
人の仕事をやるというのは収益を上げるけれど
自分たちで作るとなると高いし売れないし
アクリルでは限定的過ぎだしと
思いました。
 
-そこで後押ししたのがSNSとか?
6~7年前にSNSが登場して
人と人が繋がるツール、そこで活躍する人たち。
 
商品を自分の関わるコミュニティに出せば
自分の信頼とかの中で出せば買ってくれるんじゃないか?
と思い、(当時)17人の友達にアクリルで作った
ゴルフのネームプレートを出したら
皆が欲しいと言ってくれて
嬉しくて無償であげたら喜んでくれました。
 
そしたら、知らず知らずに
皆が勝手にネームプレートを
ゴルフショップに置くという話を持ってきてくれて
気づけば13店舗に置くことになったんです。
 
本当にSNSの普及が後押ししてくれました。
SNSを使えば商売になると思ったし
何をやってもゼロだったのが売り上げに繋がって
また、自分たちで売り出したものは
クオリティ、価格もコントロールできる
ものだと思いました。
 
これは好きなことだしやりたいことだし
プレゼントしたいとかの想いもあって
ストレスが無く友達にあげれて
珍しがってくれて
それが自分にはまったんです。
 
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